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なぜ仕事するの?
(2009/09/10 公開) 【ストレス防御!】
仕事に疲れてくると「仕事に追われる日々から卒業したい」なんて思うものですが、完璧にそこから卒業してしまうと、その先に待っているのはおそらく死ぬまでの長い時間のような気がします。波風が立つこともなく、自分がいてもいなくても社会が進んでいく穏やかな時間。羨ましいことでもありますが、体感的にはものすごく長い時間かもしれません。
そういう時間の中で、趣味のサークルを作って人々に癒しを与える人もいますが、おそらくお金をもらっていようといまいが、それはその人にとっては「仕事」の一種のような気がします。自分が社会に何らかの価値を提供しているワケですから。
個人的な経験では、人が完全に「仕事」から離れてしまった時の「社会からの疎外感」というのは、ものすごい圧力で襲いかかってくるものです。それまでの貯金を切り崩して飲み屋で飲んでいても、何か申し訳ない気分になったこともあります。
何も社会貢献していない自分がこんなトコロで飲んでいていいんだろうか・・・なんて思いにかられたコトもあります。そして、数ヶ月ぶりに働くコトになったワケですが、やはり自分の能力を生かして社会に関わっていくコトは貴重なもんだな・・・と実感したもんです。
社会貢献というのは、社会のためにやるものではないと私は思っています。究極のところ自分を満足させるためにする行動のような気がします。自己満足なんですよね。別にそれが悪いわけじゃない。結果的に誰かが幸せになるなら十分にいいんじゃないかと思います。
「仕事」っていうモノも、自分を満足させるための道具のような気がします。誰かに頼られたり認められたりすることが気持ちいいんです。誰かと協力して何かを成し遂げるというのも楽しいものです。昔、友達と秘密基地を作って遊んだ延長上にあるものが仕事だと思います。
だから、自分が「つまらない仕事」をしていると思ったら、さっさと辞めた方がいいんじゃないかと個人的には思ってもいます。もちろん仕事を続けることも大事なコトだと思います。そして「つまらない仕事」の中から見えてくるコトもたくさんあります。
よく「仕事が趣味だ」なんて言う人がいます。そういう人は別にカッコをつけて言っているワケじゃなくて、本当に仕事が面白いんだと思います。おそらく「仕事=ゲーム=遊び」くらいの関係性になっちゃってるんだと思います。限界まで体を酷使しないように気をつけてさえいれば、この状態は理想的な状況だと言えそうです。
仕事というのは確かに「生きていくための手段」です。それは間違いありません。しかしそれだけでは仕事を続けることは難しいと思うんです。仕事の中にどれだけ夢を見られるか。仕事は自分の未来に対する投資と考えていけるのか。
いやいや仕事をするのも楽しんで仕事をするのも、どちらも自分の人生の時間の一部です。「苦しいよりは楽しいほうがいいんじゃないですかね。人生は楽しく。仕事も含めて楽しく・・・ってな感じで生きてみたいものです。
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