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しあわせを探す
(2009/11/24 公開) 【ストレス防御!】
「しあわせを探す」なんて書いていますが、別に高額なツボやら印鑑やらを売るつもりはありませんのでご安心ください。ましてや私には前世を見通す力もありませんので、そのあたりもご勘弁ください。普通にしあわせを探すだけです。
「しあわせ」ってのは、脳みそで考えれば考えるほど難しくなるのかもしれません。そもそも「しあわせ」はロジックじゃありませんからね。たとえば、お金がたくさん貯まっていることが「しあわせ」だと感じるかもしれません。でも、正確には違うと思っているんですよ。
お金それ自体は何もできません。紙幣で言えば手間のかかった印刷をした紙切れです。燃やして暖を取ることはできても、たぶん食べることはできません。要するにお金だけでは何の価値観も提供できないわけです。つまり、お金の延長上にあるところに「しあわせ」があると思います。
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「お金があると生活に困ることがない」
→「日々の生活を安心してすごすことができる」
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「お金があると新しいものを買うことができる」
→「新しいライフスタイルを満喫することができる」
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「お金があるといつでも好きなところに旅行できる」
→「ふだんと違う景色を見ることでリフレッシュできる」
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「お金があると親がやりたいことを援助することができる」
→「今までお世話になった恩返しができて喜べる」
「お金がある」=「しあわせ」と簡単に結びつけて終わりにするのではなく、そこの先にある「しあわせ」を「どうして?」「どうして?」と追求することによって、自分が持っている本質的な「しあわせ」にたどり着くことができます。
場合によっては、出発点だったはずの「お金がある」=「しあわせ」という構図が崩れる場合もあります。たとえば「ふだんと違う景色を見ることでリフレッシュできる」ことに「しあわせ」を感じる場合、日本全国を飛び回るような仕事を選べば、自分自身のお金とは切り離して「しあわせ」を感じられるかもしれません。
このように「しあわせ」は実に奥が深いもので、突き詰めれば突き詰めるほど「自分の喜び」=「自分の本質」ということが分かってきます。できれば、生きている間は快適に生きたいものです。喜びに満ち溢れた一生を過ごしたいものです。そのためには自分なりの「しあわせ」を見つけることが先決です。
そうは言っても、精神的に「しあわせ」を感じづらくなっていると、なかなか「しあわせ」に気づきにくくなっていると思います。そこで今回は逆さまの発想で、しあわせ探しをしてみたいと思います。
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しあわせそうに生きている人と友達になろう。
→しあわせそうに生きている人は、しあわせの教科書を持っています。
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何かが終わるたびに「楽しかったです」と言ってみよう。
→自分自身に対しても、言葉に出さないと気づかないことがあります。
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自分と生きている領域が違う人の話しを聞いてみよう。
→自分自身の日常常識からは得られない価値観に気づくことがあります。
しあわせそうな人は、いろんな方法でしあわせを手に入れています。目標となる「しあわせ」を決めた上で、その目標に近づくことでしあわせを感じる人もいます。また、目標は立てないけれど、すべてのことを肯定的に受け入れることで、日常からしあわせを感じる人もいます。そういう、しあわせモデルを知っておくと、自分のしあわせを探しやすくなると思います。
また、何かにイベントに参加したら「今日は本当に楽しかったです」と言ってみましょう。ご葬儀などの場合は「この場に立ち会えたことに感謝します」と言いかえます。これは第三者に言ってみてもいいし、自分への独り言としてボソッとつぶやくだけでも構いません。
これは意外と効果があります。「楽しかったです」と言葉にした瞬間に、自分の中でも「楽しかったんだ」という認識が生まれます。自分が発した「楽しかった」という言葉を脳が受け取ると、「何が楽しかったんだろう?」と自動的に検索してくれることが多いように感じます。
しあわせを探すにもテクニックというものがあるみたいです。
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