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将来何になりたい?
(2009/08/27 公開) 【ストレス活用!】
【ストレス活用!】編です
気分がシンドイ時は軽く読み飛ばしてくださいね。
「将来、何になりたいですか?」・・・なんて質問を大人にしちゃいけませんかね?
それでも私は、いい大人にこの質問を投げかけたいんですよ。子供の頃の将来の夢って「仕事をする」っていうより、ただ純粋に「何かやってみたい」っていう感じで、未来を想像したりしてませんでした?
たとえばパン屋になって夢のようなパンを作ってみようとか。
コメディアンになってステージに立って注目を集めたいとか。
すごい野球選手になってみんなのヒーローになってみたいとか。
実際にはパン屋は決まったパンを作り続ける日常かもしれないし、コメディアンが売れるまでにはものすごく時間がかかったり、もしくは最後まで芽が出ないかも知れない。ヒーローになれちゃう野球選手はほんの一握り。たぶん興味のない人が見たら退屈な仕事かもしれない。
でも、子供の時に持っていた強烈な情熱を持ち続ける人は、その中に成長とか喜びとか希望を見つけることができるんじゃないのかなあ。
たぶん、子供の頃の動機を持っているパン屋は、同じパンを毎日作り続けながら、「もっとおいしいパンにするためにはどうやればいいんだろう?」なんて考えているんじゃないかな。
たぶん、子供の頃の動機を持っているコメディアンの卵は、「いつかスポットライトの真ん中で人々に笑顔を作るぞ!」なんて思いながら、下積み生活を乗り越えているんじゃないかな。
たぶん、子供の頃の動機を持っている野球選手は、「たとえ今は二軍でも、いつかみんなの心に残る選手になるぞ!」なんて思いながら、ひたすらバットを振り続けるんだろうなあ・・・とか。
そういえば私もそうだったんだけど、就職活動を控えた学生時代に「人生でいったいこれから何をしていきたいのか分からない。」なんて時期があるんだよね。これがまた、ビックリするくらいに何も頭に浮かばないんだね。
仕方がないから就職資料室で求人票を眺めてみるんだけど、どんな仕事を見たって正直つまらなそうに見えたもんです。実際のところ、そのイメージは間違っていなくて「仕事」自体はものすごくつまらないんだけど。「仕事だけ」を見るとね。
たぶん、「仕事」+「目指すもの」が融合して、初めて仕事が面白くなるんじゃないかな。目指すものがなけりゃ、どんな仕事をやったって、つまんないと思う。
たとえば「一番を目指したい!」だったら、営業でもなんでも楽しくなってくると思う。だって一番を目指すために頭を使わなくちゃいけないから。そうなりゃ、もうゲームみたいなもんでしょ?
私の場合だと、目指すものが「ラクをしたい!」だから、ラクをするためには業務分析をして自動化していく過程が楽しいですかね。どうやったら手間のかかる仕事をコンピュータに任せて、自分はラクできるんだろ・・・なんて考えるのがね。
でも「仕事だけ」をみると「業務分析」「最適化」「自動化」。文字ヅラだけを見ると、やっぱり楽しくなさそうなんだよね。やらされ仕事だったらアクビがでちゃうと思う。
だから仕事を決めなきゃいけない時に、「仕事だけ」を見ていると混乱するんじゃないかな。仕事を決める前に「どうなったら自分ってしあわせなの?」ってコトを考えてみた方がラクだと思うし、しあわせにも近づくと思うんだなぁ。
海外に行きたい。体を動かしたい。ヒーローになりたい。頼りにされたい。のんびりしたい。自分の考えを伝えたい。技術を極めてみたい。空を飛んでみたい。みんなを笑わせたい。美術品に触れていたい。ラクをしたい・・・。
子供の頃、「おとなになったら何になろうかな?」って考えたこと。すごく自分の気持ちに素直だったんじゃない?
「だってカッコイイんだもん」とか「だってかわいいんだもん」とか「だって楽しそうなんだもん」・・・でいいと思うんだよね。きっと夢ってそんなもんだよ。
大人になってくると「○○は××だからダメか。」「自分は□□だし、△△を目指すなんてちゃんちゃらオカシイよな。」とか、余計で生半可な知識とか経験とかが、本当はなりたかった自分の夢とか可能性とかを限定しちゃう。
一番やりたい選択肢を自分で消しちゃうから、本当に「やりたいこと」ってのが分からなくなっちゃうんだよ。だってさ、一番やりたい選択肢がないんだから、後は何をやったって消化試合みたいなもんでしょ?
大人に「将来、何になりたいですか?」って質問をバカにしてる場合じゃないですよー。法的な意味で大人になっていたとしても、すでに何かの仕事に就いていたとしても、そんなこと関係ないと私は思ってます。放っておいても人生には終わりがあるんだから、終わりが見えないうちに、やりたいコトやっときましょうよ。
・・・さて、もう一度ききますよ?
将来、何になりたいですか?
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