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「ツライ→しあわせ」
(2010/05/12 公開) 【ストレス回避!】
考えてもどうにもならないことってありますよね。どれだけ眉間にしわを寄せて悩んでも無理なことってあります。悩んでも悩んでも結果に結びつかないこともあります。
いくつか例を挙げてみましょう。たとえば「不老不死」。たとえば「時間を止めること」。たとえば「他人の心を正確に読むこと」。たとえば「戦争で失われた命を取り戻すこと」。
生きていく上で最も困難で心を痛めなくてはならないのは、どうしてもあきらめなくてはならないことがあるということです。もちろん簡単にあきらめずに「他に何かできることはないだろうか?」と考えることは大事です。そこから活路が生まれることもあります。
「簡単にあきらめない不屈の精神」は大事です。しかし「あきらめないこと」と「悩むこと」は本質的に違います。悩みには前向きのエネルギーがありません。同じところをグルグルと回ってしまうだけのことが多いのではないでしょうか。
この「悩み」の根源について、ちょっと考えてみましょう。
会社の悩みはその会社に所属しているからこその悩みです。つきあいの悩みはつきあいがあるからこその悩みです。
そして未来に絶望するのは未来があってのことなのです。
「銀行預金が10万円しか残っていない」という状況。そして「あと数ヶ月は確実に仕事がない」という状況。このふたつの状況が重なった場合を考えてみましょう。もちろんそれは頭を抱えてしまう状況でしょう。数ヶ月後にはおそらく一文無しなのですから。
しかし、その悩みに対して、実はある前提が抜け落ちています。
それは「当面のところ寿命が尽きない」という前提の上での悩みなのです。
たとえば「余命があと3日」だったとしたらどうでしょうか。おそらく「預金が10万円」などということは些細なことになるでしょう。なぜなら数ヶ月先の心配がまったく意味を持たないからです。
寿命は誰にでもあります。そして時として寿命や健康状態には関係なく人生の終わりがやってくることもあります。残念ながら、今、この瞬間も、世界中の病院、戦場、そして事故などによって人生を終える人たちがいます。つまり生きているからこそ悩める「権利」があるのです。
自分や大切な人の終焉が悲しいのはなぜでしょうか。それは自分自身の人生が輝いているからこそ別れが悲しいのです。すばらしい人に出会えているからこそ別れが悲しいのです。必ず「ツライ」ことには反対側の価値観が隠れています。今が幸せだからこそ、それを失うことが「恐れ」や「悩み」になってしまいます。
いったい、どうすればいいのでしょうか?・・・私なりにはふたつの回答があります。
ひとつめ。それは「未来の悲しみ」よりも「今の幸せ」に一生懸命の感謝をするしかないと私は思っています。もし失いたくないという存在があるのなら、一生懸命に大切にするんです。これは、人、お金、時間、環境のすべてに当てはまるのではないでしょうか。
「一期一会」という言葉があります。「今を逃したら二度と出会えないかもしれない」という気持ちのことです。そんな気持ちで日々を送れていれば幸せは持続するような気がします。なぜって、自分自身だって、どんなアクシデントで命を失うのか分からないのですから。要するに、いつだって悔いが残らないように一瞬一瞬を大切にするんです。
逆に考えると「悩みから抜け出せない状況」というのは、必死に生きていない証拠なのかもしれません。本当に必死な時、悩んでいる時間なんてありません。たとえば、納期寸前の仕事に追われている最中に「人生の短さ」を憂う時間なんてあるでしょうか?
ふたつめ。幸せの根源になっている存在に依存しきらないことです。たとえば「お金」に依存すればするほど失った時のダメージは大きくなることでしょう。「パートナー」や「家族」に依存すればするほど失った時のダメージは大きいでしょう。
幸せの根源から精神的に独立する覚悟が必要なんだと思います。
#この原稿を書き終えた2010年5月12日21時。祖母が末期がんだという電話を受けました。
#いつ読み返すことになるか分かりませんが、限られた時間を大事に使いたいと思います。
#単なる偶然だと思いますが、「心構えせよ」と、天から告げられたような気がします。
#ショックではあるものの、自ら書いていたこの原稿に支えられ心が折れずにすみました。
#私は特に神仏の信奉者ではありませんが、偶然とは思えない大いなる偶然に感謝します。
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